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2013/10/27
4位2時間11分47秒
区間名前学年区間タイム区間順位(順位変動)1区柳利幸②24分22秒区間9位(9)57秒差
2区高田康暉②16分47秒区間4位(9→8)1分00秒差
3区山本修平③23分29秒区間5位(8→7)1分53秒差
4区武田凛太郎①18分15秒区間5位(7→7)2分05秒差
5区中村信一郎②18分54秒区間8位(7→7)2分28秒差
6区大迫傑④30分00秒区間3位(7→4)2分36秒差
4年
大迫傑④27分38秒31≪4年:出雲6区3位、日カレ5千2位、関カレ5千2位、3年:箱根3区2位、全日本2区2位、出雲1区10位≫…日本学生長距離のエース 2年連続日本選手権1万2位で、今年は世界選手権に出場する活躍 その後もヨーロッパ遠征をしていた
田中鴻佑④29分28秒20≪4年:関カレハーフ12位、3年:箱根9区12位≫…一般入試でじわじわ伸びてきて今年箱根デビュー 関カレも入賞ラインに迫った
3年
山本修平③28分14秒49≪3年:出雲3区5位、日カレ5千6位・1万4位、関カレ5千11位、2年:箱根5区3位、全日本4区2位、出雲3区3位≫…箱根では2年連続山登りを走り区間3位 ロードで粘る 今年は故障から全体的に昨年よりやや下の成績が続いている
臼田稔宏③29分42秒00…トラックよりもロードが得意な選手、今年は1万29分後半を複数出している
三浦雅裕②29分42秒50…学生ハーフで63分台を出したが、やや波が大きい
中村信一郎②29分55秒75≪2年:出雲5区8位≫…春先に29分台をマーク 出雲駅伝で大学駅伝デビュー
三井泰樹②29分58秒72…10月上旬に5千で大幅ベスト 最近の1万はやや失速
2年
柳利幸②28分59秒12≪2年:出雲1区9位、日カレ1万6位、1年:箱根8区14位、全日本1区12位≫…陸上歴は浅いが日カレ1万で入賞 駅伝ではまだいい結果はない
武田凛太郎①29分04秒20≪1年:出雲4区5位、日カレ5千10位、関カレ1万、都道府県5区1位≫…都道府県対抗駅伝で区間賞獲得 入学後も5千1万で記録を出して順調に成長しつつある
高田康暉②29分04秒47≪2年:出雲2区4位、関カレハーフ9位、1年:全日本5区6位、出雲2区4位≫…昨年は箱根のみ走れず その後成長し各大会で安定した走りを続けている 最近1万ベスト更新
1年
平和真①29分11秒26≪都道府県5区9位≫…昨年のインターハイトップの大器 大学では故障があったが、最近29分11秒と良くなってきた
井戸浩貴①29分29秒48…大きな実績はなかったが、先日初の1万で29分29秒
佐藤淳①29分37秒08…夏の間に大きく伸び、5千1万共に自己ベスト
主なエントリー漏れ
志方文典④28分38秒46≪4年:関カレ1万、3年:箱根7区11位、2年:箱根8区2位、1年:全日本5区1位≫…大迫選手に並んで期待されていたが、度重なる故障の影響かベストから遠い走りが続いていた
田口大貴③29分14秒42≪3年:関カレハーフ、2年:箱根10区4位、出雲5区8位≫…箱根10区の4位争いした選手 その後トラックやハーフで大きく自己ベストを更新し主力の一角になりかけていた
2013/10/04
エントリーメンバー
※関カレは1部
4年
大迫傑④13分27秒54≪4年:日カレ5千2位、関カレ5千2位、3年:箱根3区2位、全日本2区2位、出雲1区10位、2年:箱根1区1位≫…日本学生長距離のエース 2年連続日本選手権1万2位で、今年は世界選手権に出場する活躍 その後もヨーロッパ遠征をしたため、駅伝は負担軽減?
田中鴻佑④14分24秒98≪4年:関カレハーフ12位、3年:箱根9区12位≫…一般入試でじわじわ伸びてきて今年箱根デビュー 関カレも入賞ラインに迫った
3年
山本修平③13分42秒17≪3年:日カレ5千6位・1万4位、関カレ5千11位、2年:箱根5区3位、全日本4区2位、出雲3区3位、1年:箱根5区3位≫…箱根では2年連続山登りを走り区間3位 ロードで粘る 今年は故障から不調に陥ったが日カレでは入賞を果たした臼田稔宏③14分13秒26…トラックよりもロードが得意な選手、1万29分42秒出すなど少しずつ記録も向上中
2年
柳利幸②14分02秒13≪1年:日カレ1万6位、箱根8区14位、全日本1区12位≫…陸上歴が浅く伸び盛り 昨年の駅伝は悔しい思いをし続けた 今年は故障していたが日カレ1万で28分台をマークした
高田康暉②14分18秒28≪2年:関カレハーフ9位、1年:全日本5区6位、出雲2区4位≫…昨年は出雲全日本出走も箱根走れなかった その後ぐっと成長した 今年は各大会で安定した走りを続けている
中村信一郎②14分27秒29…春先に29分台マーク 高校3年に駅伝で結果を出している
1年
平和真①13分55秒64≪都道府県5区9位≫…昨年のインターハイトップの大器 ただ、関カレで故障するなどここまでは実力を発揮できていない
武田凛太郎①13分58秒63≪1年:日カレ5千10位、関カレ1万、都道府県5区1位≫…都道府県対抗駅伝5区で区間賞獲得 入学後も5千1万で記録を出して順調に成長しつつある
佐藤淳①14分19秒00…スポ枠以外での入部者
主なエントリー漏れ
田口大貴③14分01秒24≪3年:関カレハーフ、2年:箱根10区4位、出雲5区8位≫…箱根10区の4位争いした選手 その後トラックやハーフで大きく自己ベストを更新し主力の一角になりかけていた
志方文典④14分04秒77≪4年:関カレ1万、3年:箱根7区11位、2年:箱根8区2位、1年:全日本5区1位≫…大迫選手に並んで期待されていたが、度重なる故障の影響かベストから遠い走りが続いていた
2013/09/07
在年度:第76回-第79回
1年:箱根10区8位
2年:箱根9区7位
3年:予選15位、全日本8区13位、箱根9区4位
4年:出雲4区4位、全日本8区7位、箱根9区9位
長い距離で急成長 淡々と走るスタイルから闘志を剥きだしにする走りへ
第76回箱根駅伝復路当日のエントリー変更に驚いた。10区に、その年度の箱根予選及び全日本アンカーを走った当時3年の久場選手に代わり、無名の1年生後藤選手が入った。2年ぶりのシード権目前の所でどんな走りになるか不安になった。序盤は区間最下位ペースで嫌な感じがしていたが、徐々にペースアップ。区間8位で飄々と走り切ったのだ。
元々そんなに陸上熱があったわけではない。同世代の陸上選手もそんなに知らなかった。それが高校3年生の時に、当時早大コーチだった遠藤氏に直接声をかけられたのが転機になった。心を打たれ、一般入試で早大に合格。箱根駅伝に出場するのが目標だったが、1年後にもう達成したのだ。
ここから更なる急成長。2年生の時は11月の府中ハーフで63分台をマーク、箱根で主要区間の9区を担い区間7位の成績、3年度の関東インカレハーフは3位で表彰台に立った。初登場となった全日本は、箱根予選の直後ということもあって失敗したが、箱根本戦では再び9区に登場し、区間4位。襷をもらった直後に100m後ろにいた大東大の選手を終盤に突き放すクレバーな走りを見せた。理工学部で1人で練習する事が多かった後藤選手ならではの走りだ。
4年生の前半は関カレハーフで入賞に届かない不本意な走りだったが、これに奮起したのか夏を超えて違う姿を見せた。苦手なスピードもつけ、初登場となった出雲駅伝。7位で襷を貰うと追いついてきた山学大についていき、5位争いに浮上。5校程での争いだったが、残り1㎞地点で苦しそうに首を振りながら集団の一番後ろへ。厳しいかと思われたが、中継所では5位にあがった山学大に並びかけるように中継した。この姿に驚いた。
全日本では序盤から中大とシード権を挟んでガップリ四つ。残り2㎞地点で中大のスパートに苦しそうにしながら3m程後退。次にカメラが回ったのがゴールシーンだったが、いつの間にか突き放していた。ガッツが身についていたのだ。箱根直前号の紹介でも3年時の「いたって平凡なランナー」から4年時「闘志をむきだしにする走り」に変わった。最後の箱根でどんな走りを披露するか楽しみだった。
惜しむらくは、最後の箱根では気合が空回りしてしまったことだ。シードラインから3分ビハインドがあり、すぐ前にいた選手に追いつけずに焦った事。それと雪の降る寒さにもやられたらしい。画面ではかなり早い段階からユニフォーム姿で中継ラインに立っていた。少なからず影響したかもしれない。その中でも区間9位と意地のレースを見せたのは後藤選手らしい安定感だった。その後、大学院に進学、最近では弁理士の資格も取得している。
在年度:第76回-第79回
1年:
2年:
3年:予選190位
4年:箱根7区19位
『WILD組』初代管理人 最初で最後の箱根はホロ苦に
早稲田大には公式HPの他、長距離部員自身が運営しているブログ日記があります(旧:http://www.geocities.jp/teamwatanabeinwaseda/、現:http://blog.livedoor.jp/wildkumicho/)。もう11年以上続いています。管理人は9代目(組長に名前が変わってからは6代目)で、今や議長や係長など結構大がかりな組織(?)となっています。ところで6代目ということは当然初代がいるわけなのですが、その初代管理人が79回大会7区を走られた高橋耕選手なのです。
2002年春(僕がちょうどインターネット始めたころですねw)に「早稲田大学競走部広報課」としてスタートしました。勿論、この時は個人名は非公開だったのですが、79回大会の放送中に突如紹介されたのです。7区の序盤を走る高橋選手にバイクカメラが横につき、そのHPについて触れられていました。そして自分のような無名の選手が走る姿をみて、今の高校生も勇気を持ってほしいと。
大学中盤まで主要大会への出場はほとんどなかった高橋選手。3年生の箱根予選のメンバーに選ばれましたが、力にはなれませんでした。4年生の秋に5千ながら日体大記録会で組トップで自己ベストを更新。結構2位を引き離す独走でした。そこから力をつけ、メンバー入り。7区エントリーの空山選手の回避で、前日に出番が回りましたが、準備自体はしっかりできていて、密かに高めの設定タイムを組んでいたそうです。
しかし、襷を貰う時にアクシデント。襷を落としてしまいました。さっと拾って走り出したものの嫌な予感がしました。これが原因かどうか分かりませんが、入りのペースを間違えてリズムを掴めず、走り出した時にシードのボーダーだった10位の位置を徐々にダウン。区間19位、5人に交わされる苦しい走りとなってしまいました。練習通りいかないのもまた箱根の難しさなのかもしれません。最も、早大の豊富な情報発信の礎にもなった選手なのは確か(11年以上続くとは本人も思われなかったのでは??)。いい走りとはいきませんでしたが、敢えての紹介です。
在年度:第84回-第87回
1年:
2年:
3年:
4年:全日本6区2位、箱根5区9位
入学時5千15分30秒台の選手が優勝メンバーに 怪物迫る中、挑んだ代打の山登り
出来るだけ85回大会以前にしようと思ってたのですが、以前の優勝メンバーを入れたのに最近の優勝メンバーを入れないわけにもいかないなとも感じましたので。
本当に固唾を飲んで見守った80分間だった。3冠を達成するのに意識しないわけにはいかない東洋・柏原選手の存在。出雲&全日本で区間賞を獲得し、山登りに決まっていた佐々木選手が1週間前にダウン。急遽、任されたのは高校時代実績皆無だった4年生の猪俣選手。タイプ的に失速はないだろうと思われたが、柏原選手が激しく追い上げる中、どういうことになるか…。
「駅伝では力2割増しになる」―――猪俣選手の言葉だが、高校時代から確かにあったようだ。高校3年間のトラックのベストは15分35秒だが、1年時に駅伝の5㎞区間で15分06秒で走っているのだ。箱根駅伝が見える成績ではなかったが、一つ自信となったのは確かかもしれない。
大学に入ってからは2年生あたりから一気に力をつけはじめ上尾ハーフで64分台を出していた。3年生は足踏みしたものの、4年生になって1万29分台に、そして関カレハーフで8位入賞を果たし、主要大会で結果が出る程までに成長を遂げた。駅伝で秘密兵器になりうるのではと噂されはじめた。
そして全日本でついに駅伝デビュー。10秒後ろからは、東洋大の主力で直前に1万28分台を出して波に乗っていた田中選手が追いかけてくる難しい展開だった。最初の3㎞を8分42秒と中々の突っ込みを見せて差をキープ、しかし中盤じわじわと差がつまり5秒切る場面もあった。その中でも焦ることなく安定したフォームを刻み続ける。すると終盤差が広がり、逆に貯金を作ったのだ。これで流れに乗ったチームは2冠目を達成。同郷で高校時代から知っていた東洋大・酒井監督は「お前のような選手が出てきてほしくないんだ」と敵将ならではの賛辞を送った。
迎えた箱根路。元々9区の予定で5区補欠という位置づけだった。12月の頭に5区は考えなくていいと言われ9区の準備に専念していた。ところが1週間前に状況が一転。ぶっつけで山登りをすることになったのだ。何とか4区までに貯金をと一丸となったチームはそれまでに2分56秒の貯金を作ってきていた。襷を受けて黙々と登っていくが、やはりあっという間に差はつまり、最高点までに逆に37秒のビハインドとなった。
総合優勝に向けてこれ以上は開くと不味い状況の中、猪俣選手の逆襲が始まった。下りに入って今度は差が詰まり始める。実況では猪俣選手は「下りが得意」と盛んにあったが、本人の中では苦手意識があったらしい。それでも、「2割増し」は効いた。6区に向けて襷を繋げなければならない、その熱い想いが27秒差にまで押し戻したのだと思う。間違いなく復路の逆転優勝に繋がった。
引退し、一般企業で取引部門で忙しく働いているが、それでもいまだに特集されることがあるのはそれだけ多くの人々に感動を与えたからだろう。その特集の影響からか、多くの大学がスポ推でほとんど選手を獲得する中、早大競走部への一般入試での入部は逆に増えている。独特なチーム構成となっている早大競走部を応援し続けたいと思います。
2013/09/07
在年度:第68回大会-第71回大会
1年:出雲5区9位、箱根6区15位
2年:全日本5区4位、箱根5区7位
3年:箱根5区6位
4年:箱根5区5位山下りで大ブレーキ 一転、2度往路優勝のゴールテープを切る
もしかすると見たことがある方は結構いるのではないだろうか。箱根駅伝ではCMが入る直前、その地点での回想シーンが流れるが、6区の際に這うようにしながら襷を渡す早大の選手の時がある。多分小林選手だ。1年時に山下りに抜擢されたのだが、足の裏の皮が破れてああいう恰好となってしまったのだ。箱根史に残る壮絶な襷リレーだ。
一転、2年生からは3年連続で5区山登りに挑み、3回とも襷をもらった順位をキープ。そして2年と4年時はトップで襷をもらい、往路優勝のゴールテープを切る。結構驚いた当時の早大ファンは多かったのではないだろうか(もっとも、69回大会から見始めた僕は、だいぶあとになって68回大会の事を知って別の意味で驚いた)往路優勝した時は、どちらも山梨学院からの猛追を受けていたが、振り切ってのもの。5区の終盤は下りだが、そこで稼いでいた4年時は1分39秒の貯金をもらって走り出したが、大平台までに一気に48秒差まで詰められて戦々恐々としたものだ。しかし、下りで一気に突き放し、逆に数秒貯金しての往路優勝だった。山梨学院が逆転にかかって前半ぶっとばしていたのはあるが、やはり下りは得意だったのだろう(ちなみにこの時、3区4区5区と3年連続で同姓が並ぶという珍現象も起きている)。卒業後も市民ランナーでちらほら名前を見た。富士登山競走では00年01年は優勝。03年の東京国際マラソンでは20位に食い込むなどの活躍をみせた。当時行われていた富士登山駅伝でも出走している。現在はランニングクラブ「リスタート」でコーチの一人として名前がある。
在年度:第70回-第73回
1年:
2年:全日本7区2位、箱根7区3位
3年:箱根4区8位
4年:出雲5区1位、全日本2区4位、箱根2区4位一般で政経学部、端正なマスクに綺麗なフォーム 最後は箱根2区
非常に堅実で綺麗な走りだったのが印象に残っている。スポ推組のような力強さはない、しかし泥臭さという事も見た目から感じられない。イケメンの風貌もそれを思わせたのだろうか。しかし、5千15分台で政治経済学部に一般入試で入り、2年時の全日本駅伝でデビューには並々ならぬ努力があったはずだ。その全日本は結構鮮烈なデビューだった。早大と山学のデットヒートが繰り広げられたが、ある意味この勝負に決着をつけたのは彼だった。7区終盤に山学を突き放して10秒リード。アンカーの渡辺選手には大きな余裕をもたらしたのだ。面白い選手が出てきたものだと感じた。逆に、初の主要区間となった箱根4区は壁に当たった感じだ。1位で襷をもらってキープはしたものの区間8位。2分以上あった2位との差を30秒ほどにまで詰められてしまった(しかも、山学と神大のダブル棄権によりほとんど中継がそっちにいって映らずじまい)。この出来事が、藤井選手を一層強くさせた。最上級生になり、インカレハーフでも入賞に顔を出すようになり、強さも身についていきた。出雲駅伝では初の区間賞で優勝に貢献。全日本駅伝ではまさかの1区19位での襷リレーも冷静に6人抜きの区間4位。箱根では華の2区だった。過去4年花田・渡辺選手らスーパースターが走ってきたこの区間を叩き上げの選手が走る事はやや予想外だった。レースは1区の好走でトップ中継。ただスピード不足か後続のランナーに追いつかれていってしまう。73回は今年の箱根を思わせるような強風が吹き荒れていた大会。誰もひっぱりたがらず集団に。最終的に6人になるトップ集団の一番後ろでじっと耐える。だが20㎞過ぎて集団が崩れ、後ろの方に下がってしまう。ここまでかと思いきや、落ちてきたランナーを一人ずつ交わしていく粘りを見せ、最終的に3位にまで順位をあげる力走をみせた。周りに惑わされることなく、しっかりと自分の力を出し切った。引退し、09年に台湾・台北で市民ランナーとしてハーフマラソンに出ていた藤井選手。一般入試で早大競走部を叩いて、華の2区を走った最後のランナーとなっている。
在年度:第74回-第77回
3年:予選73位
4年:全日本8区8位、箱根10区2位
1万持ちタイムが最も遅かった男 シード獲得へ魂の走り
5千14分54秒、1万31分07秒。これが鈴木選手が最初で最後の箱根路に挑んだ際の持ちタイムである。とりわけ1万は第77回箱根駅伝出走者150人の中で最も遅かった。任された区間はアンカー。チームは苦しい戦いを強いられ9区終了時点でシード権(当時9位以内)とは1分40秒差の総合12位。一見、きつそうに見えたが、彼は早大が誇る最終秘密兵器だった。
無名の存在だったが、コツコツ練習を積みロードで力を発揮するようになっていたのだ。3年生の時に箱根予選出走し、62分強のタイムを残すなど力を蓄える。初の大学駅伝となった4年生の全日本アンカーで2人抜く快走。確かな実力を示した。そして先の箱根路となる。復路一斉スタートの影響で見た目と実際の順位が異なるが、すぐ前にいた拓大に追いつき
区間3番~5番のハイペースで引っ張っていく。しかし、運が悪いのは総合9位にいたのが大東大の実力者真名子選手。さすがに区間賞のペースで突っ走っていく。7位8位のチームは4分近く前だった。
それでも何があるか分からない、鈴木選手は飛ばしていく。御成門までに拓大を振り切ると、20㎞を超えてから日体大・日大を交わす間もなく引き離す。ゴール直前にはアクシデントでふらふらになっていた山学大を抜き去る。見た目順位を8位に。復路順位は5位に、個人タイムは区間2位ながらも区間新記録。残り1㎞地点で一時区間賞ペースになっていたという。この走りに一瞬大逆転でのシード権獲得かという雰囲気が漂ったが、無情にも総合10位、9位のチームは30秒の差だった。区間新でもシードに届かずというのは高岡選手が有名だが、実は4年前にこの鈴木選手も遭っていたのだ。最も、なんとなく次の年の総合3位の躍進に繋がった気がする。基本的に早大はこの時期苦しかったが、78回はこの大会の悔しさを活かしている気もする。早大はスーパースターがトップを独走する姿が思い浮かぶが、シード権付近でたたき上げの選手が魂の走りをするのも早大の姿である。
2013/08/10
「俺が早大のエース、学生長距離界頂点だ!」強力ルーキーから意地で勝ち取った2区で激走
4年時の箱根の激走は15年以上経過した今でも鮮明に思い出せる。ちょうど渡辺・小林選手といったスターが卒業し早大の弱体化が噂されていた時だった。「俺が早大のエース」と1万29分台(走る機会があれば28分台出ただろうが)ながら華の2区67分台で区間賞を獲得。チームをトップに押し上げ大きな見せ場を作った。
元々は中学時代に5千15分02秒をマークした逸材。高校でも活躍し早大の門を叩く。第71回箱根駅伝で山梨学院大のシーソーゲームの末敗れたのは当時1年生の梅木選手が走れなかったからだとも言われたくらいだ。ただ、大学で力を発揮し始めたのは3年生くらいから。箱根で1区を任され最後まで脚を溜めてスパートし区間賞を獲得。そこから本領発揮し関カレダブル入賞。エース格となった。しかし、箱根2区決定とはならなかった。1年生に、後にマラソンで日の丸を背負った佐藤敦之選手が加入。駅伝でもいきなり活躍し、佐藤選手が2区も面白そうという話が出たのだ。箱根前、部内で行われた20㎞タイムトライアルで両者が激突した。先に苦しくなったのは梅木選手。呼吸が荒さを感じた佐藤選手が15㎞地点でスパート。一気に10秒突き放された。しかし2区を奪われるわけにはいけない。懸命に追い上げる。差はじりじりつまり残り700mで追いついた。最後の叩き合いは梅木選手が1秒差で勝利。まさに「意地とプライド」であった。先の快走にはこのようなドラマがあったのだ。その後、中国電力で、最初の頃はプライドが悪い方向に働いていたが、徐々に成績を残し、ニューイヤー駅伝でゴールテープを切った事もある。なお、2010年末で現役生活を終えている。
駅伝が苦手なロードの鬼 主将で迎えた最後の箱根は…
梅木選手の次の次の区間を受け持った同学年の選手、荒川選手も非常に印象深い。高校時代は3障が目立ってたが大学ではロードに非常に強かった。最初の出雲から駅伝に出場。箱根駅伝では1区を任され区間9位ながら当時の1年生歴代2番目のタイムで走破している。この年の早大は2~4区と3連続区間賞などで往路優勝をしたが、1区の荒川選手を褒め称えていた。
そこから一気に力をつけ、関東インカレのハーフマラソンで3連覇を達成している。ただ、駅伝の成績は中々向上しなかった。メンタル面にやや難があったそうで逆に不安定になっていく。そして3年時の全日本で悪い意味で記憶に残るレースをしてしまう。
この年の早大は前人未到の5連覇に挑戦していた。ただ、戦力的にはきつい。アンカーに小林雅選手がいたが、山学・神大にどうみても劣っていた。全くのノーミスでそこまで繋ぐ必要があった。その大事な1区を任されたのが荒川選手だった。ロードの粘りを期待されての事だったと思われる。しかし、中間点までに遅れだすと転がり落ちるように失速。トップと2分33秒差の区間18位。。どうにも力を出す事ができなかった。
その荒川選手が梅木選手や中村選手らを差し置いて主将に選ばれたのは興味深かった。関カレハーフを辛勝して役目を果たすと、出雲欠場で三大駅伝皆勤は逃したものの、全日本アンカーを無難に走った。迎えた箱根、トップで襷をもらうと、序盤全体的に差を詰められヒヤヒヤさせたが、後半踏ん張って首位堅持した。最も、区間賞のタイムからは2分近く遅れ、力を出し切ったかどうかは微妙だが、これまた4年生の意地をみせてくれたような気がした。
「安定感」が武器だった「サラリーマンランナー」
こんな呼ばれ方されたのは眼鏡をかけていたのは一つある。大抵のランナーは走る時には眼鏡を邪魔と感じて外すのですが、常につけていたため少し目立ったのがあるだろう。ただ勿論、走りでも印象が残らなければあだ名をつけられることはない。
ひとまず3年生までの駅伝成績を見ると、区間賞はないものの全て区間5位以内。チームの強さもあるが、トップ付近を走ることも多かった。当時は今より層が薄い中で優勝や上位を狙っていた時だったので、首脳陣としては計算ができて本当に助かったのではと思われる。
個人的には山崎選手のラストスパートの時のフォームも特徴的だったと思う。腕を大きく、特に後ろに思いっきり振りかぶり、何とかして推進力を得ようと懸命になっている姿をよく覚えている。1年生の箱根7区で高校の先輩の中大・前田選手に最後振り切られるも、秒差でとどめたり、2年生時には強風の中ひたすら集団で耐えて最後に力を振り絞って、僅かな差で前に出てタスキリレーを行っている。特別強かったわけじゃなかったが、粘り強いのだ。
4年生の秋シーズンが珍しく調整を外してしまったが、箱根はその分取り返した。最初で最後のエース区間となった箱根2区。1区がやや不振で11位で襷を受け取ると気合の入った表情で前を追う。法大の坪田選手と一緒に順位を上げ権太坂付近では4位争いへ。このあたりから首が振れてきて遅れ始めるが、一気に引き離される事はなく踏ん張る。ラストも表情を崩しながら大きな腕ふりで賢明に全身を動かし、区間4位、総合も4位と9秒差に留めてエースの役目を果たした。ただ、チーム自体はジリ貧が否めず8年ぶりのシード落ち。「一からではなく、ゼロからのスタートと思ってほしい」と厳しい言葉を残し、競技生活を終えた。そして三井住友銀行に入社、サラリーマンとなった。
エース候補からどん底へ 「かきわけ男」の最後の箱根路
「活きのいい選手が入ったな」―――それは1年時の箱根を見た時の印象だった。7区を走り区間賞を獲得。それ以上に衝撃的だったのは、前を走る大東大と神大の選手に追いついた時、並走する2人の間から"かきわけ"るように入っていったのだ。気持ちの強さにたまげた。その後も強気のレースを展開。最後はスタミナ不足気味だったが、2位の選手に大きく遅れずに粘った。シード付近を行ったり来たりになっていた早大の救世主になるんじゃないかと思わせた。
それは早くも現実になる。関カレ5千で凄まじいラストスパートを見せてチャンピョンに。山学大のモカンバ・橋ノ口選手といった主力を抑えての価値ある勝利だった。これには脱帽。エースへの階段をどんどん登っていくものと誰もが期待をした。駅伝シーズンが非常に楽しみになったものだ。
ところが、夏を境におかしくなる。日カレで失速。合宿疲れもあるのかと思ったが、駅伝に入っても精彩を欠き続け、箱根は故障もあり欠場。歯車が狂った。3年生になり関カレではダブル入賞を果たしたものの、不安定な状態は続く。それでも箱根直前の記録会で1万28分43秒の自己ベストで箱根2区起用へ。しかしどん底を味わうことになる。序盤からペースがあがらず重たい走り。抜かれても全く抵抗できない。74分近くかかって区間19位。走るのが嫌になった。
最上級生の序盤は本人もチームも結果が出ない。このまま終わってしまうのかと思われた。しかし箱根予選では今まで見られなかった堅実な走り。順位は昨年より悪いがこれは集団走をけん引したため。上尾ハーフは66分台も15㎞は1㎞3分ペース、12月の記録会で1万29分半ば。少しずつ上昇カーブを描き、迎えた最後の箱根は1区。序盤から真ん中やや前の位置を安定してキープ。そして六郷橋の下りで仕掛けたのがハイライト。これが中途半端で他の選手のスパートを誘発することになったのが惜しまれるが、崩れることなく走り切り区間4位。下級生の頃とは違ったものの、1年の箱根以来の好走だった。
「手合せゴール」の元となる 「ヘタレ」と呼ばれた昔から現在まで
81回大会、早大は9区終了時で総合11位、10位神大とは1分05秒のビハインド。3年ぶりのシード権獲得はアンカー・高岡弘選手に託された。絶好調だった高岡選手は区間記録を上回るペースで追い上げた。ぐんぐん差はつまっていき、15㎞地点では6秒ほどになった。この勢いなら…と思われた。しかし、相手の神大内野選手は主将。そうは簡単にいかない。逆にじりじりと突き放される。懸命の形相で追うも力及ばず、逃げ切られてしまう。
22秒後にゴールした高岡選手が行ったのが、今やトレンドともなった「ごめん」のポーズでのゴール。区間新記録(区間2位)を出したこともあり悲劇のヒーローとして大きく報じられることとなる。最も、本人は内野選手がゴールした瞬間、ショックから記憶がシャットダウンしていて、全く覚えていないらしいが。元々早大ファンだったらしく、全国区ではなかった自分に声がかかったのに驚きと興奮が隠せなかった。そのまま早大の門をくぐったが、最初は長い距離にかなり苦手意識があり「ヘタレ」と不名誉なあだ名を付けられる。それに奮発してか箱根デビューとなった2年時の6区では積極的な走りで区間8位、3年時には予選20位、箱根は上記のような走りができるまでに成長した。主将となった最終学年、念願のシードをと、急きょ走ることになった山登りと奮闘するも、チームは過去最悪となる4年連続シード落ち。何かチームに残したいとぶっつけで東京国際マラソンにエントリー。ひとまず完走しようと思ったが、高岡選手(マラソン日本記録保持者の)などそうそうたるメンバーと一緒に走りたいとぶっとばしていって途中棄権。現役としてはこれが最後のレースとなった。現在は両親の故郷の熊本県で、警察担当の記者として活躍する片手間、市民ランナーとして走っている。今年2月の熊本城マラソンで初めてマラソンを完走、3時間28分という結果を残している。
チーム上昇期に挫折 苦しみの中掴んだチャンスで
悔しい箱根デビューとなった。初の長距離ロードとなった箱根予選は24位。その後も順調に推移し、3区でのデビューとなった。石橋選手は序盤慎重に入ったのだがこれが失敗。スピードに乗ることができず、後続の集団に一気に追い抜かれてしまった。区間19位、チームの脚を引っ張る結果に。リベンジを誓った2年時はアンカーを担当する予定だったが発熱。早大はスタートから9区までシード権内で踏ん張っていたが、アンカーで駒切れ。逆転負けを喫した。
そこから更に苦しい陸上生活が始まる。3年生春先にベストは出したものの、そこから全く走れなくなる。奇しくもチームは上昇期に。箱根予選ダントツトップで通過を果たすと、竹澤選手らの活躍もあり6位と躍進。翌年6月、その竹澤選手を温存して臨んだ全日本予選も久々に通過。湧き上がるチームの中、蚊帳の外だった。苦しさに周囲に少し八つ当たりしたことを後悔している。
4年生の秋の記録会でようやく復調の兆しを見せる。10月に1万を29分台を出した。ただ、秋の試合出場はそれだけ。7区に当日入ったのは驚いた。何人か故障者が出た中でお鉢が回ってきたのだが、チームは5区6区連続区間賞等で周囲の予想を遥かに超えた活躍。ダントツトップで襷をもらい、どんな走りになるのか色々な意味で注目を集めた。
最初の1㎞突っ込んだ。1㎞2分37秒。1年時のような失敗だけはしたくないと思いのたけをぶつけた。これまでの不調はなんだったのかというくらい安定した走りを披露。さすがに終盤は苦しそうになったが粘って区間4位。競技生活ラストランを見事な形で終えた。
その後、公務員として第二の人生を歩み始める。しかし、どうしてこういうことに…。2009年8月2日に痰に血が絡み、4日に検査。末期癌と判明、入院5日後の8月9日に急逝された。いくらなんでも早すぎる。早稲田大はその年度に三冠を達成。せめて、それを見させてあげる程の命、誰か与えてほしかった。
Author:hakonankit
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