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思い出に残る選手【早稲田大学-スポ推薦-】

世界陸上始まりましたね!
福士さんのメダル本当にうれしいです。
 
こちらの企画も並行して始めたいと思います
まずは早稲田大学のスポ推編です
 

梅木蔵雄


 
 
 
 
 
 
 
「俺が早大のエース、学生長距離界頂点だ!」強力ルーキーから意地で勝ち取った2区で激走
 4年時の箱根の激走は15年以上経過した今でも鮮明に思い出せる。ちょうど渡辺・小林選手といったスターが卒業し早大の弱体化が噂されていた時だった。「俺が早大のエース」と1万29分台(走る機会があれば28分台出ただろうが)ながら華の2区67分台で区間賞を獲得。チームをトップに押し上げ大きな見せ場を作った。

 元々は中学時代に5千15分02秒をマークした逸材。高校でも活躍し早大の門を叩く。第71回箱根駅伝で山梨学院大のシーソーゲームの末敗れたのは当時1年生の梅木選手が走れなかったからだとも言われたくらいだ。ただ、大学で力を発揮し始めたのは3年生くらいから。箱根で1区を任され最後まで脚を溜めてスパートし区間賞を獲得。そこから本領発揮し関カレダブル入賞。エース格となった。
 
 しかし、箱根2区決定とはならなかった。1年生に、後にマラソンで日の丸を背負った佐藤敦之選手が加入。駅伝でもいきなり活躍し、佐藤選手が2区も面白そうという話が出たのだ。箱根前、部内で行われた20㎞タイムトライアルで両者が激突した。
 
 先に苦しくなったのは梅木選手。呼吸が荒さを感じた佐藤選手が15㎞地点でスパート。一気に10秒突き放された。しかし2区を奪われるわけにはいけない。懸命に追い上げる。差はじりじりつまり残り700mで追いついた。最後の叩き合いは梅木選手が1秒差で勝利。まさに「意地とプライド」であった。先の快走にはこのようなドラマがあったのだ。
 
 その後、中国電力で、最初の頃はプライドが悪い方向に働いていたが、徐々に成績を残し、ニューイヤー駅伝でゴールテープを切った事もある。なお、2010年末で現役生活を終えている。

 

荒川誠

 

 
 
 
 
 
 
 
駅伝が苦手なロードの鬼 主将で迎えた最後の箱根は…
 梅木選手の次の次の区間を受け持った同学年の選手、荒川選手も非常に印象深い。高校時代は3障が目立ってたが大学ではロードに非常に強かった。最初の出雲から駅伝に出場。箱根駅伝では1区を任され区間9位ながら当時の1年生歴代2番目のタイムで走破している。この年の早大は2~4区と3連続区間賞などで往路優勝をしたが、1区の荒川選手を褒め称えていた。

 そこから一気に力をつけ、関東インカレのハーフマラソンで3連覇を達成している。ただ、駅伝の成績は中々向上しなかった。メンタル面にやや難があったそうで逆に不安定になっていく。そして3年時の全日本で悪い意味で記憶に残るレースをしてしまう。

 この年の早大は前人未到の5連覇に挑戦していた。ただ、戦力的にはきつい。アンカーに小林雅選手がいたが、山学・神大にどうみても劣っていた。全くのノーミスでそこまで繋ぐ必要があった。その大事な1区を任されたのが荒川選手だった。ロードの粘りを期待されての事だったと思われる。しかし、中間点までに遅れだすと転がり落ちるように失速。トップと2分33秒差の区間18位。。どうにも力を出す事ができなかった。

 その荒川選手が梅木選手や中村選手らを差し置いて主将に選ばれたのは興味深かった。関カレハーフを辛勝して役目を果たすと、出雲欠場で三大駅伝皆勤は逃したものの、全日本アンカーを無難に走った。迎えた箱根、トップで襷をもらうと、序盤全体的に差を詰められヒヤヒヤさせたが、後半踏ん張って首位堅持した。最も、区間賞のタイムからは2分近く遅れ、力を出し切ったかどうかは微妙だが、これまた4年生の意地をみせてくれたような気がした。
 
 
 

山崎慎治

 

 
 
 
 
 
 
 
「安定感」が武器だった「サラリーマンランナー」
 こんな呼ばれ方されたのは眼鏡をかけていたのは一つある。大抵のランナーは走る時には眼鏡を邪魔と感じて外すのですが、常につけていたため少し目立ったのがあるだろう。ただ勿論、走りでも印象が残らなければあだ名をつけられることはない。

 ひとまず3年生までの駅伝成績を見ると、区間賞はないものの全て区間5位以内。チームの強さもあるが、トップ付近を走ることも多かった。当時は今より層が薄い中で優勝や上位を狙っていた時だったので、首脳陣としては計算ができて本当に助かったのではと思われる。

 個人的には山崎選手のラストスパートの時のフォームも特徴的だったと思う。腕を大きく、特に後ろに思いっきり振りかぶり、何とかして推進力を得ようと懸命になっている姿をよく覚えている。1年生の箱根7区で高校の先輩の中大・前田選手に最後振り切られるも、秒差でとどめたり、2年生時には強風の中ひたすら集団で耐えて最後に力を振り絞って、僅かな差で前に出てタスキリレーを行っている。特別強かったわけじゃなかったが、粘り強いのだ。

 4年生の秋シーズンが珍しく調整を外してしまったが、箱根はその分取り返した。最初で最後のエース区間となった箱根2区。1区がやや不振で11位で襷を受け取ると気合の入った表情で前を追う。法大の坪田選手と一緒に順位を上げ権太坂付近では4位争いへ。このあたりから首が振れてきて遅れ始めるが、一気に引き離される事はなく踏ん張る。ラストも表情を崩しながら大きな腕ふりで賢明に全身を動かし、区間4位、総合も4位と9秒差に留めてエースの役目を果たした。ただ、チーム自体はジリ貧が否めず8年ぶりのシード落ち。「一からではなく、ゼロからのスタートと思ってほしい」と厳しい言葉を残し、競技生活を終えた。そして三井住友銀行に入社、サラリーマンとなった。

 

空山隆児

 

 
 
 
 
 
 
 
エース候補からどん底へ 「かきわけ男」の最後の箱根路
 「活きのいい選手が入ったな」―――それは1年時の箱根を見た時の印象だった。7区を走り区間賞を獲得。それ以上に衝撃的だったのは、前を走る大東大と神大の選手に追いついた時、並走する2人の間から"かきわけ"るように入っていったのだ。気持ちの強さにたまげた。その後も強気のレースを展開。最後はスタミナ不足気味だったが、2位の選手に大きく遅れずに粘った。シード付近を行ったり来たりになっていた早大の救世主になるんじゃないかと思わせた。

 それは早くも現実になる。関カレ5千で凄まじいラストスパートを見せてチャンピョンに。山学大のモカンバ・橋ノ口選手といった主力を抑えての価値ある勝利だった。これには脱帽。エースへの階段をどんどん登っていくものと誰もが期待をした。駅伝シーズンが非常に楽しみになったものだ。

 ところが、夏を境におかしくなる。日カレで失速。合宿疲れもあるのかと思ったが、駅伝に入っても精彩を欠き続け、箱根は故障もあり欠場。歯車が狂った。3年生になり関カレではダブル入賞を果たしたものの、不安定な状態は続く。それでも箱根直前の記録会で1万28分43秒の自己ベストで箱根2区起用へ。しかしどん底を味わうことになる。序盤からペースがあがらず重たい走り。抜かれても全く抵抗できない。74分近くかかって区間19位。走るのが嫌になった。

 最上級生の序盤は本人もチームも結果が出ない。このまま終わってしまうのかと思われた。しかし箱根予選では今まで見られなかった堅実な走り。順位は昨年より悪いがこれは集団走をけん引したため。上尾ハーフは66分台も15㎞は1㎞3分ペース、12月の記録会で1万29分半ば。少しずつ上昇カーブを描き、迎えた最後の箱根は1区。序盤から真ん中やや前の位置を安定してキープ。そして六郷橋の下りで仕掛けたのがハイライト。これが中途半端で他の選手のスパートを誘発することになったのが惜しまれるが、崩れることなく走り切り区間4位。下級生の頃とは違ったものの、1年の箱根以来の好走だった。
 
 
 

 

高岡弘

 

 
 
 
 
 
 
「手合せゴール」の元となる 「ヘタレ」と呼ばれた昔から現在まで
 81回大会、早大は9区終了時で総合11位、10位神大とは1分05秒のビハインド。3年ぶりのシード権獲得はアンカー・高岡弘選手に託された。絶好調だった高岡選手は区間記録を上回るペースで追い上げた。ぐんぐん差はつまっていき、15㎞地点では6秒ほどになった。この勢いなら…と思われた。しかし、相手の神大内野選手は主将。そうは簡単にいかない。逆にじりじりと突き放される。懸命の形相で追うも力及ばず、逃げ切られてしまう。

 22秒後にゴールした高岡選手が行ったのが、今やトレンドともなった「ごめん」のポーズでのゴール。区間新記録(区間2位)を出したこともあり悲劇のヒーローとして大きく報じられることとなる。最も、本人は内野選手がゴールした瞬間、ショックから記憶がシャットダウンしていて、全く覚えていないらしいが。
 
 元々早大ファンだったらしく、全国区ではなかった自分に声がかかったのに驚きと興奮が隠せなかった。そのまま早大の門をくぐったが、最初は長い距離にかなり苦手意識があり「ヘタレ」と不名誉なあだ名を付けられる。それに奮発してか箱根デビューとなった2年時の6区では積極的な走りで区間8位、3年時には予選20位、箱根は上記のような走りができるまでに成長した。
 
 主将となった最終学年、念願のシードをと、急きょ走ることになった山登りと奮闘するも、チームは過去最悪となる4年連続シード落ち。何かチームに残したいとぶっつけで東京国際マラソンにエントリー。ひとまず完走しようと思ったが、高岡選手(マラソン日本記録保持者の)などそうそうたるメンバーと一緒に走りたいとぶっとばしていって途中棄権。現役としてはこれが最後のレースとなった。
 
 現在は両親の故郷の熊本県で、警察担当の記者として活躍する片手間、市民ランナーとして走っている。今年2月の熊本城マラソンで初めてマラソンを完走、3時間28分という結果を残している。

 

 
 

石橋洋三

 

 
 
 
 
 
 

チーム上昇期に挫折 苦しみの中掴んだチャンスで
 悔しい箱根デビューとなった。初の長距離ロードとなった箱根予選は24位。その後も順調に推移し、3区でのデビューとなった。石橋選手は序盤慎重に入ったのだがこれが失敗。スピードに乗ることができず、後続の集団に一気に追い抜かれてしまった。区間19位、チームの脚を引っ張る結果に。リベンジを誓った2年時はアンカーを担当する予定だったが発熱。早大はスタートから9区までシード権内で踏ん張っていたが、アンカーで駒切れ。逆転負けを喫した。

 そこから更に苦しい陸上生活が始まる。3年生春先にベストは出したものの、そこから全く走れなくなる。奇しくもチームは上昇期に。箱根予選ダントツトップで通過を果たすと、竹澤選手らの活躍もあり6位と躍進。翌年6月、その竹澤選手を温存して臨んだ全日本予選も久々に通過。湧き上がるチームの中、蚊帳の外だった。苦しさに周囲に少し八つ当たりしたことを後悔している。

 4年生の秋の記録会でようやく復調の兆しを見せる。10月に1万を29分台を出した。ただ、秋の試合出場はそれだけ。7区に当日入ったのは驚いた。何人か故障者が出た中でお鉢が回ってきたのだが、チームは5区6区連続区間賞等で周囲の予想を遥かに超えた活躍。ダントツトップで襷をもらい、どんな走りになるのか色々な意味で注目を集めた。

 最初の1㎞突っ込んだ。1㎞2分37秒。1年時のような失敗だけはしたくないと思いのたけをぶつけた。これまでの不調はなんだったのかというくらい安定した走りを披露。さすがに終盤は苦しそうになったが粘って区間4位。競技生活ラストランを見事な形で終えた。

 その後、公務員として第二の人生を歩み始める。しかし、どうしてこういうことに…。2009年8月2日に痰に血が絡み、4日に検査。末期癌と判明、入院5日後の8月9日に急逝された。いくらなんでも早すぎる。早稲田大はその年度に三冠を達成。せめて、それを見させてあげる程の命、誰か与えてほしかった。
 
 
 

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