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2011/08/26
高校は埼玉の名門、春日部東高校。同学年には高校3年時に1500で日本選手権6位に入った高橋和也がいた。そういう選手がいる中での練習だったので、レベルは非常に高かった。ただ、それがたたって故障に悩まされ、中々結果を出すことができなかった。「大学では走る事を楽しみたい」と思い、有力大学には進学しなかった。
進んだ学習院大学は大学長距離界としては無名校。部員は高校まで陸上未経験というのも珍しくなく、毎年何とか標準記録突破者を10人揃えて箱根予選に出場するような所だ。そんな中なので当然練習の質と量が落ちるのだが、故障が多かった川内選手にはそれが幸いした。故障がなくなり継続して練習できるようになったのだ。これでメキメキ力を付けた川内選手は2年時の箱根予選で37位と好走し、学連選抜のメンバーに選ばれた。一時は諦めていた夢を掴むことができたのだ。
3年時は箱根予選で失敗(前年度の箱根出場でTVカメラが付き、プレッシャーが悪い方向に出たらしい)してしまい本戦出場は叶わず。ラストの4年目にかけていた。個人では5千で14分一桁、関カレハーフで9位に食い込むなど充実。この調子なら今年はこのままいい調子で箱根予選を迎えられそうな気配だった。
しかし、ここで一つ大問題が降りかかる。この年の学習院大学は特に苦戦。夏前の時点で箱根予選の標準記録(当時5千16分59秒99以内)を突破していたのが9人という状況であった。学連選抜のメンバー選考は箱根予選が一次選考となっている。箱根予選には標準記録突破者を10人揃えないと出場できない。ということはこのままだと箱根予選に出場できないので川内選手の箱根への道が閉ざされることになる。何としてでもあと一人、部内で標準記録突破者を出さなければならなかった。
春から何度か記録会に出場し、惜しいところまで行った選手がいた。当時1年生の前田耕一郎選手。春の記録会では18分10秒、17分43秒と少しずつ調子をあげていた。何とか前田選手に17分切を、ということで夏の走り込み。前田選手も懸命に乗り切り、力を付けた感触はあった。そして、締切直前の9月20日、川内選手をペースメーカーとして、記録会で17分切を目指した試合が始まった。
自己ベストを超えるペースで当然楽ではなかった。それでも必死に川内選手の背中に喰らいついた。全てはチームの為、そして川内選手の為、諦めるわけにはいかなかった。残り1周、切れるかどうかきわどいタイムで通過。余力は無かったが、懸命に脚を動かす。少し離され気味になったが、最後まで粘り通した。
記録
16分59秒76
破った。0.24秒だけど破った。前田選手の頑張りで、チームの箱根予選出場権、及び川内選手の箱根への挑戦権を得ることができた。全員で心を合わせた結果だった。このおかげで川内選手は見事箱根駅伝出場。6区区間3位の快走で選抜チームの総合9位に貢献、学生生活の最後を飾る事ができた。
Author:hakonankit
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