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【モスクワ陸上選手権】男子長距離結果

中本選手が5位入賞やりました!
特別企画を行います
 
 

マラソン

1位スティーブン・キプロティチ(ウガンダ)2時間9分51秒※五輪に続きトップ
2位レリサ・デシサ(エチオピア)2時間10分12秒
3位タデセ・トラ(エチオピア)2時間10分23秒
 
 
 

5位中本健太郎(安川電機)2時間10分23秒

在年度:第78回大会-第81回大会
1年:予選79位、全日本8区19位
2年:予選145位
3年:
4年:予選44位、箱根7区16位

15分20秒台だった高2時に坂口泰監督が米重監督に紹介 スポ枠に滑り込む
 元々強いランナーだったわけではない。野球部だった中学時代に駅伝に駆り出されていた事はあったものの、目立った成績ではなかった。高校もそのまま野球部に進むつもりだったが、陸上やった方が伸びると言われ転向。もっとも、高校2年生まで15分20秒がベストの選手(高校卒業までに14分51秒)で、全くの無名選手だった。本人は地元の徳山大に進学する予定だった。

 その中本選手に目を付けた有名な指導者がいた。中国電力の監督で尾方剛・佐藤敦之選手など有名な日本人マラソンランナーを輩出したことで知られる坂口泰さんだった。「面白いランナーがいる」と彼を当時拓殖大監督だった米重修一さんに紹介。持ちタイムが基準に満たなかったものの、拓殖大が箱根でシード権を獲得したお蔭で監督枠が1つもらえていた。この枠に滑り込んで、関東で箱根駅伝を目指すこととなった。
 

1年時に距離適性は見せる その後低迷も4年生に何とか箱根路へ
 高校時代タイムが伸びなかったのは貧血のせいもあったらしい。1年時は高校時代の
成績を考えると大きな成績を残す。箱根予選に出場し、チームは予選落ちしたものの、79位61分39秒。出場権があった全日本はアンカーに抜擢されている。やはり長い距離にはこの時から非凡なものを見せていたようである。
 
 2年時に一時足踏み、3年時に箱根予選に欠場しているが、同一年度に1万29分12秒を記録しており、着実に成長を見せる。4年生の時に44位60分58秒の記録を残し、ようやく箱根本戦へ。7区16位の成績はやや不本意だったのではと思われるが、学生の最大目標は最後に何とかたどり着いた。

不安定な28分台より、安定している29分台を!米重監督の説得で実業団へ
 最も、3年生までに箱根本戦に出場できなかった中本選手の就職活動は苦戦を強いられることになる。実業団で競技を続けたかったが、ことごとく内定の通知はもらえなかった。
 
 その時、安川電機の当時監督だった井上文男さんがスカウトに来た。同期の上村選手を勧誘にきたのだ。その時に米重さんが取ってくれるよう頼み込んだ。「不安定な28分台より、安定している29分台」をと口説いて、何とか2人内定を取らせたのだ。
 
 最も米重さんが苦笑するのは、上村選手は結局自衛隊体育学校に進んでしまい、中本選手だけが安川電機に入ることになったことだ。井上さんから「騙された」とマラソンで結果を出すまで罵られる事になってしまったそうだ。
 

夏に強い、細かいことに動じない性格 遅咲きも世界で戦える選手に
 やはり最初はきつかった。トラックでも駅伝でも中々結果を残すことができない。走るのは辞めようか、そう考えていた時、勧められたのがマラソンだ。これが中本選手の眠れる才能を引き出した。
 
 初マラソンの延岡で2時間13分台で3位。そこから順調にタイムを伸ばしていき、11年に2時間9分31秒を残し世界陸上選出へ。後半にじわじわ順位を上げていき10位にあげていく走りに、安定感と夏の強さを感じにわかに評価が上がり始めていた。
 
 オリンピック選考のびわ湖毎日では一時日本人トップとなる見せ場を作った。だが、トラックに入ってから交わされ日本人2位。しかし、これまでの安定感を加味してもらい枠に入ることが出来た。3レースで3人選ぶのに、日本人2番手を選ぶことに疑問の声はあがったが、その中本選手がロンドン五輪で日本人最上位の6位入賞。その声を黙らせた。

 今年の別府マラソンでも日本人トップにはなれなかったが、自己ベストを2時間8分半ばに。力を蓄えて今回真価を見せる。24℃で強い日差しの中でのスタートとなったモスクワ選手権。ペースは特別早くなかったが、上げ下げがあったか、次々と日本選手が脱落。一人冷静に後ろで走っていた中本選手は20㎞以降、先頭集団の前でレースを展開。今までとは違う姿を見せる。

 30㎞地点でスパートをかけられて一時引き離されるも粘って一人ずつ拾っていき、35㎞地点で追いついたのは大いに盛り上がった。脚は残っていなかったというが、それでも、相手のスパートにも動じていないように見えた。6位に落ちたが5位にあげ、最後4位に肉薄しての入賞。無名ランナーが、難しくなったと言われた男子マラソンのメダルの可能性を感じさせる、そういう走りだった。

 思えば、国内マラソンで日本人トップもなければ、自己ベストだと今回の5人では一番遅い。しかし、マラソンの順位の安定感が凄まじいのも特徴。安定感だけでなくどういうレース展開でも動揺していない証拠。それに加え暑さへの強さが計り知れない。酷暑で給水に失敗しても特に何とも思わないと言う。各選手さまざまな特徴はあるが、中本選手の特徴は夏のレースに向いている。マラソン復活に向けて、欠かせない存在となった。
 
他日本人
14位藤原正和(Honda)2時間14分29秒
17位前田和浩(九電工)2時間15分25秒
18位川内優輝(埼玉県庁)2時間15分35秒
DNF堀端宏行(旭化成)

 二番手には10年越しの世界の舞台となった藤原選手。少しずつ拾う走りをして最後のトラックで粘りを見せた姿は感動的だった。前田選手も4年前よりは順位を上げることができたのは良かった。川内選手は中々暑さを克服するのに苦労、対策は練ったものの、今回も痙攣などが起きてしまったようだ。それでも18位には入ったので粘ったとも言えようか。怪我上がりの堀端選手は無念だったが、20位以内に4人とも入ったのは一つ収穫だったような気がします。
 
5千
2組11位佐藤悠基(日清食品)13分37秒07

1万
1位モハメド・ファラー(イギリス)27分21秒71
2位イブラヒム・ジェイラン(エチオピア)27分22秒23
3位ポール・タヌイ(ケニア)27分22秒61
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15位宇賀地強(コニカミノルタ)27分50秒79
21位大迫傑(早大4)28分19秒50
DNF佐藤悠基(日清食品)
 1万はいろんな意味で注目していた宇賀地選手が27分50秒の好タイムで日本人トップ。ローペースからスプリント勝負になる日本選手権ではなかなか勝てなかったが、やはり条件が悪かったり、激しい揺さぶりがある耐久レースとなると宇賀地選手の粘りが活きるようだ。大迫選手はそういう点で宇賀地選手に及ばなかったというところか。それでも来年卒業後のアメリカに拠点を置く夢は適いそうで、今後の飛躍に期待したい。
 佐藤選手は怪我を押しての出場だったようで1万途中棄権、5千は無理やり出場して13分37秒だった。

夏の対策はどうすればいいのだろうか
 中本選手を見るに、展開によれば、夏(酷暑)に行われる世界選手権でメダルは全く不可能というわけでもないのかなとも思い始めた。勿論、オリンピックから離れた世界選手権ということで有力選手がやや少なかったことも加味しなければならないのだが、ちょっと眼は離せなくなってきた。
 
 精神的なタフさは勿論だが、やはり暑さにどうやって強くなるのか方法論を考えたいところだ。どうにも強い選手は最初から強く、苦手な選手は何度夏を迎えても苦手という印象を受ける。川内選手もかなり色々対策を立てたが克服まではならなかった(身構えて硬くなるのもあるのかもしれないが)
 
 何年か前の高校野球で沖縄県の島袋投手が雨合羽を着込んで投球練習を行い、夏の甲子園への対策を行ったという、そういえば中央学大の4年生の岡本選手も同様の恰好で走り込みを行い体質を改善したとか。この練習が有効なのかどうか分からないけど、何か布石になればと思う。夏に選考レースを1回くらい行うというのも提案したい。

トラックのスピードのある選手らのマラソン参入は?
 そしてもう1つ。トラックの持ちタイムが高い選手のマラソン参入について。暑さの強さに加え、トラックのスピードがある選手がほしいのが正直なところだ。佐藤選手が冬にマラソン挑戦、宇賀地選手がマラソン挑戦を明言(最も1万の日本記録も更新の野望もあるようですが)している。特に宇賀地選手は結構な期待がかかりそうだ(暑さに強いというか、粘れるという感じなのかな)。
 
 何より今回の結果で、中本選手のように大学時代目立たなくてもコツコツ練習を積んだ選手が世界と戦った事から、まだマラソン走っていない実業団選手や今の大学生が感化されることも願いたい。リオは3年後、今から準備すれば、もしかするともしかするかもしれない。

他、メダル獲得種目や入賞種目にも触れなければならないのですが、時間がありませんので、これで失礼します。
行うと決めた企画も次いつ投稿になるか目途は立っていませんのでご了承ください。

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