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【卒業生特集】第90回-87回の箱根を駆けた男たち≪後編≫

さて、ここからは高校時代から有名な選手が出てきます。
有名だからといって順風満帆にいくわけでなく、様々な4年間がありました。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 帝京大のエース蛯名選手の名前がありますね。1年時の箱根からしっかりとした走りを見せ2年生にはチームの主力選手に。直前の体調不良で2年時の箱根は走れませんでしたが3年時に2区に登場しています。鬼門の1区の次の区間に配置されることが多かったですが、その中でのタフさが光りました。4年時は怪我で苦しいシーズンでしたが、最後の最後に繋ぎ区間ながら間に合わせてシード圏へ導く走りで、箱根ファンを沸かせました。

 また、中大・代田選手は色んな意味でクローズアップされました。最初は2年時に関カレ3障から始まり箱根6区快走に3年時出雲1区区間賞と快進撃が続いていましたが、一転4年時は中大が歴史的に体験した事のない予選落ちするかもしれない重圧に苦悩する姿が映し出されました。ところで、このゾーンはなぜか6区に縁のある選手が多い。日体大Vメンバーとなった鈴木選手は3、その3年時は「下りだけは自信ある」と発言していましたが、最終学年では平地でも力強い走りが見られるようになってました。城西・平田選手は1500から20㎞までそつなく走るランナー、日大・日向野選手は上級生になって少しずつ力をつけてきましたね。

 他、実業団を経て東農大に入学し最後の最後にメンバー入りした山本選手の名前も。(おそらく)昭和生まれの最後のランナーとして注目を集めました。結果は厳しいものとなりましたが、陸上人生を全うしました。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 間違いなく注目を集めたのは國學・寺田選手でしょう。1年時のコース間違えはあまりにも有名な話。巡り巡って直前で決まった10区でコースが頭に入っていなかったとか。ただ、それ以降実力で話題を呼びたい一心での練習が実を結び、2年時の箱根5区の4人抜き等、全てチームの総合順位を上げる走りを披露。國學院大史上初の4年連続出場の歴史と共に歩んだランナーです。
 
 それから農大の佐藤・津野選手は箱根の苦汁を味わったコンビ。2年時、5区を任された津野選手がエントリー決定後に急性胃腸炎を起こしダントツ最下位の苦しい走り。その翌日、6区の佐藤選手が区間2位の快走で走った事は話題になりました。その後4年時は実は立場が逆に。1区佐藤選手がハイペースについていけず区間22位の出遅れを、2区津野選手が終盤粘って総合順位を上げるという、こういうドラマもありました。

 それから順大・小澤選手は長いロードで安定感のある選手で暗黒時代を抜け出す一つのキーマンになった選手ですね。忘れてはならないのが城西・山口選手で関カレ3障4連覇はもっと取り上げられるべき快挙でしょう。駅伝ではスピード区間が性にあっていた印象でした。他、中大・西嶋選手など上級生になってからあまり名前を聞かなくなってしまったランナーが多かったのがちょっと残念でした。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 最後の箱根でMVPを獲得した東洋・大津選手の名前がありますね。2年時に上尾ハーフで62分台を出し一気に台頭。その年度の箱根8区と最終学年での10区で区間記録に迫る走りをみせています。単独トップでこんな走りをされては他校はひとたまりもありませんでしたね。総合優勝に貢献したということでは日体・本田選手も3年時の2区でチームの勢いを付ける走りを魅せました。接戦で非常に粘りを発揮し他校には憎かったのでは?最終学年が怪我の影響で成績が落ちてしまったのが惜しまれます。

 ところで、この枠、なぜかその最終学年や上級生で力を出せなかった選手が多い。明大・石間選手は下級生の頃に勢いがあった、東海・元村選手も1年生の時が一番良い成績。専大・宮坂選手は箱根直前に長い怪我から復帰したのですが結局出走できず、駒大・郡司&湯地、東洋・定方選手は3年時の失敗を晴らす機会は訪れず、須河選手は万全な状態で臨む機運に恵まれませんでした。日体・甲斐選手が最後3位争いを制した意外は結構厳しい結果に。先ほどの10名の中にも華が開きそうで開かなかったランナーが多かったですが、高校時代中堅の選手が苦しんだ世代だったのかも?
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 さて、ラスト11名となりますが…豪華です。大学入学直後から全開だったのが早大・大迫&志方選手。関カレの地点で両者ともすでに1万28分30秒代の自己ベストを持っていたわけですが、こうも明暗が分かれてしまうとは…。大迫選手は飽くなき向上心で1万学生記録保持者となり世界選手権へ出場。大学駅伝に拘らない姿勢に賛否も巻き起こしましたが、卒業後は渡米と今後が更に楽しみに。志方選手は1年時全日本5区区間新をマークするも度重なる故障に泣き、万全の状態に在学中に戻る事はありませんでした。

 駒大には油布&窪田選手といった注目ランナーが入学。最初はスピード自慢の油布選手に注目が集まりましたが、秋になると故障から回復した窪田選手が一気に台頭し、全日本や箱根で区間賞を獲得。2年時の出雲アンカーで過去日本人最高の走りをしてからはずっとアンカーや最長区間を任せられる存在に。ただ、全日本3回優勝テープを切ったのと裏腹、箱根は3年生以降悔しいレースが続きました。油布選手は箱根では爆発しませんでしたが、全日本駅伝3区で4年連続区間賞と2度の区間新の金字塔を打ち立てました。

 メンタルの強さでは日体・服部選手が秀でていたと思います。3年時の強風の中の山登りが一番有名でしょうが、父親が亡くなった直後に走った2年時の1区、直前に故障があった1年時と4年時と4年連続走り全て区間3位以内。これは他のどの大学のエースもできていないことです。また、拓大・ダンカン選手は、出雲1区区間賞がありますが、長い距離が不得手な選手で箱根は苦しいかと思われましたが、最後の最後でエース区間2区で牛蒡抜き。粘り強く練習した結果です。

 他、怪我で泣いた選手がいます。青学・竹内選手は4年時アンカー笑顔でゴールしましたが、出来れば6区での爆走がもう一度見たかったのは確か。最終学年出走できないくらい苦しかったのは日大・田村選手と明大・北選手。このうち田村選手は2年時の全日本区間賞、それと今回の箱根でシード獲得したアンカーの選手を笑顔で迎えた場面がありましたね。北選手は実業団でのリベンジに期待です。

 最後に紹介となるのは東洋・設楽兄弟。先に台頭してきたのは兄の啓太選手。結構なメンツが集まった1年時の全日本区間賞はかなり驚きました。箱根もいきなり2区で68分前半をマーク。最初からずっとエース区間で駆け抜けています。悠太選手は2年生の全日本までは大きくは目立ててませんでしたが、箱根でまさかの7区区間記録を打ち立ててから波に乗ってきました。その後の箱根は2年連続3区起用。4年時はトップを奪う力走でチームの優勝に貢献しています。しかも3年連続区間賞を獲得しています。啓太選手はずっとエース区間だったことも影響してか区間賞と縁は無かったですが、5区起用となった最終学年は、前年区間賞の服部選手を1秒抑えて区間賞。34年ぶりの双子区間賞で総合優勝に花を添える結果となりました。
 
 
番外編:大学別出走人数(のべ出走回数)
7人:帝京(18)
6人:日体(16)、専大(7)
5人:東洋(13)、青学(8)
4人:中学(11)、駒大(10)、中大(10)、農大(9)、早大(8)、法大(8)、国士(6)
3人:明大(9)、日大(7)、國學(7)、順大(5)、上武(5)、山学(3)
2人:東海(4)
1人:流通(1)、関学(1)
 帝京は本当に多かったですね。主力の蛯名・小山・田中・難波選手以外にも山で活躍した千葉選手等がいます。怪我なども多く全員が揃う事が中々無かったですが、帝京の躍進を支えました。次に日体と専大が多いですね。日体は柱の服部・本田・矢野選手以外にも鈴木選手等がいますね。専大は90回と87回しか出場が無いですが、90回大会で一気に出走者が出ました。東洋大は設楽兄弟・大津選手など数多く優勝に貢献した選手がいますね。関東学院と流通経済は選抜でそれぞれ1人出走があります。

 これで競技を終える選手もいれば、日の丸の期待を背負って実業団へ進む選手もいます。この4年はスピード化が顕著で、相当タイムを持った選手もいました。その後の人生に活きればと思います。
 
 
卒業おめでとうございます!!
 

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