後半です
51~60
じわじわ濃いメンバーが出始めましたが、ついに区間賞獲得者が出てきました。東洋大・田中選手。2年時の全日本で区間賞の鮮烈デビューし、そのまま箱根2連覇にも貢献しました。その後、3年時「やったぞ田中」でがぜん注目を集める中区間賞、4年時の出雲も区間賞で、"ミスター区間賞"の異名を獲り、一躍有名になりましたね。他にもノーマークから関カレ5千連覇した国士・藤本選手や1区スペシャリストの中学・塚本選手も箱根は1回だが印象深い。また、4年時の関カレ1万ハーフダブル入賞した山学・松枝選手、最終学年が不本意だったが、4年連続出走した農大・木下選手はエースとしてチームを牽引しました。
61~70
1年時から区間一桁の活躍をみせていた最初の選手は松蔭大・梶原選手。全て学連選抜での出走となったのは本人複雑だったとは思いますが、一旦日体大入部もすぐに退部するなど紆余曲折の陸上人生で見事に4年連続出走。ただ、純粋なルートでの大学入学での出走だと明大・細川選手。特に1年時は既に明大が駒を使い切った中での区間一桁で半世紀近くぶりのシード権獲得に密かに貢献していたり。その後も後半にペースアップするクレバーな走りをみせていました。
それから4年連続出走の城西・田村、上武・坂口選手。田村選手は3年連続5区出走しかも全て区間一桁ということで城西が上位に入るようになったのは彼のお蔭といっても過言ではないです。逆に坂口選手は最後まで苦戦と対照的な結果となってしまった。また、忘れてはいけないのは東洋・山本選手。3年時は区間賞も21秒トップに届かず、4年時は優勝の決定打を打つ活躍でどちらも印象に残っています。他、暗黒時代を経て最初で最後エースとしての出走を果たした順大・的場選手の名前もあります。
71~80
色々なランナーがいますが、まずは東洋から宇野選手と川上選手。宇野選手は故障が非常に多かったのですが、なんだかんだで4年連続出走。1区や4区といったスピード区間で大活躍でした。対して川上選手は7度の大学駅伝出走も箱根は1回だけというこれまた珍しい出走歴に。4年時はアンカー予定も前日に交代されるという悲劇に遭う。でも、優勝旗をもらう経験もできました。
他にも大エースとは言えないが、中々味のある選手も。駒大・井上選手は駅伝で1度も外さなかった。中大・棟方選手は4年生になってから安定感が増して、最後の箱根は2区区間4位と周囲もびっくりな成績。城西・橋本選手は1万28分30秒台をマークしている。そして日大・堂本選手も触れないとならないだろう。3年生になってから急激な成長をみせ、1区2位の成績。ところが4年目の箱根路はチームが本戦に駒を進めることが出来ず。自身も予選でやや不本意な走りで選抜にも選ばれずという悲運。ルール上仕方ないとはいえ、それでも選抜に推す声は多かった。
81~92
この世代って意外にも留学生のコスマス選手以外で5千13分台いなかったんですね。鎧坂・八木選手あたりがいたので、そんな気がしなかったのですが。その鎧坂選手は下級生までは故障が多かったのですが、それが無くなってから凄まじい上昇曲線に。なんと1万の学生記録保持者となってしまった。箱根駅伝は常に「3」という数字が付きまとう不思議な縁だったが、まさかアンカーで総合3位のゴールテープを切る事になるとはファンも本人も予想しなかっただろう。
もう一人の注目の八木選手は早大に進学したが、この年は早大にトップランナーに集結。八木選手は区間2位だったが、矢澤選手は1区区間賞、三田選手に至っては区間新記録デビューということで、中々な派手なパフォーマンスだった。ただ、順風満帆にはいかず。3年の時は3冠達成に大きく貢献したが、最後の年は八木・三田選手が欠場、出場した矢澤選手も脚の状態が思わしくなく納得の走りとはならなかった。悔しい想いを抱えて実業団でどんな走りをするかまだまだ目を離せない世代だ。
また、恒例の山学の留学生・コスマス選手。実は出走駅伝すべて区間2位以内というかなりの安定感を誇っていたが、前回の留学生のモグス選手の実績(人柄も比較されたか?)からかファンからはもどかしいという感じの成績だった。しかし最後のロードシーズンで爆発。3区タイトルホルダーとなりました。他にも中々成績が安定しなかったが農大・松原、東海・刀祢選手は4年連続出走。国士・伊藤選手は2区がちょっと苦手な感じだったが、1万28分20秒台をマークする選手となるなど、それぞれ様々な大学陸上人生を歩みました。
そして最後に紹介するのは東洋大・柏原選手。この選手を語らなかったら箱根駅伝は語れないし、箱根人気を更なる高騰に導いた当事者だ。高校3年の秋から急成長を遂げ、都道府県駅伝1区区間賞で全国区の選手に。大学生になってもインカレ入賞や全日本区間賞など快進撃は続く。実績もそうだが、果敢に攻める走りでも大きな注目を集めた。そして今でも衝撃的な箱根デビューへ。トップから5分差で襷をもらうと、本来ならタブーの平地の部分から追い込んだ走りで次々に前の選手を捉える。もう往路優勝は決まりと思っていたトップの早大の後ろに見えてきた時は度胆を抜かれたものだ。大逆転での往路優勝と区間新記録を出した。2年生も記録を更新し総合優勝に導いた。
しかし、誰にでも不調の時期は訪れるようで3年時は不調に喘いだ。箱根5区は意地をみせて往路優勝のゴールテープを切るも総合優勝は他校に持って行かれる。これがバネになった。主将として迎えた最終学年は前半シーズンこそ不調から脱しきれなかったが、全日本で復調を告げる走り。そして4度目の5区。チームメートの頑張りでトップで襷を受け取るとその力をいかんなく発揮。前人未到の76分台の記録で有終の美を飾った。下級生の頃は実業団に進むかどうか分からないという事をインタビューで答えていたが、今はマラソンで世界を狙いたいという。これだけ有名になると経験の一環でマラソンを走るわけにいかないのが辛いところだが、うまくやってほしいものである。
おまけ:大学別出走人数(のべ出走回数)
8人:国士(11)
7人:神大(10)
6人:山学(12)
5人:東洋(14)・東海(10)・國學(9)・拓大(9)
4人:農大(12)・早大(11)・上武(10)・日大(7)・亜大(5)
3人:城西(9)・明大(8)・中大(7)・帝京(7)・中学(4)・日体(3)
2人:駒大(5)・青学(5)・専大(5)・法大(3)・順大(2)
1人:松蔭(4)・大東(1)・創価(1)
多いからいいとか少ないとか悪いとかいう事は一切ないのですが、ちょっと気になったので。まあ多ければ主力の学年だった、少なければ狭間の世代という事か。人数的には今年の箱根で大量に出走した国士大と神大が多いですが、出走回数となると黄金時代となった東洋の4年生なんですね。柏原世代はやはり強かったということか。
以上、総勢92人の選手が箱根駅伝経験者となりました(ここまで真面目に書いてなんだけどミスないよね(汗))。私的な事ですが、ブログを始めたのが2008年(の秋)。彼らの入学年は2008年なので、ついに自分がブログを始めた時1年生だった選手が卒業することになります。何度キーボードで名前をかちゃかちゃ打ちこんだか分からないですし、予測変換機能で簡単に名前が出てきます。そういう選手たちが卒業するとなると感慨深いものがあります。
走った選手も夢かなわなかった選手もサポートに回った方々もこの大会に携われた事は大きな財産だと思います。それぞれの次のステージでまた別の活躍を望みます。
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